春の夜
過ごしやすい陽気に誘われて、一日はゆるやかな二度寝からはじまった。
朝から猫の額ほどのうちの庭をほこりっぽい春の嵐が吹き荒れていた。 玄関のとびらがその隙間を通り抜ける風でがたぴしゃと鳴るたびに今この家に自分しかいないという孤独感と平生からの臆病が相まってなんとなく疑心暗鬼になって読みたい本を読み進められず、ついには集中を切らしてうとうとと昼寝をしてしまった。
春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、何をするのにもこうも暖かいと息つく間もなくまどろみが襲ってくるので気が抜けない。
案外、日が沈むまでは漫然と過ごすのが吉なのかもしれない。
そうなると作業に向くのは夜ということになる。
風呂に入り夕食を食べ終えた十時ごろ、なんだか無性に散歩がしたくなり手に取った本にしおりを挟んでスニーカーを履いて外へ出た。外はシャツ一枚で心地よく、洗いざらしの髪をさわやかに風が吹き渡った。
近くのコンビニエンスストアにアイスを買いに行くという名目で散歩を開始することにした、アイスは散歩によって生じる副産物であり散歩をアイスのために行う作業にしてはいけないというのが自分の中で決まっている。
あえて音楽を聴くことをせずに静寂に耳を澄ませ、今年履修したヨーガの授業で習った呼吸法を試しながら歩き始めた。鼻から入る息がどこに溜まりどのように流れるのかを意識しろという師の教えに従うと絶えず心に湧きあがる雑念から少しの間距離を置くことができた。
気が付くとコンビニエンスストアの駐車場まで来ていた。店に入りアイスを物色するも先ほど夕食を終えたばかりで満腹なので食べたいアイスが決まらない。
これからバイトを終え帰ってくる妹と半分にできるようにとパピコを選んだ。
家に向かって歩くと先ほどまで感じなかった生臭いようなにおいが鼻を突いた。
どこかで狸でも轢かれているんじゃないかと周りを見回すもただ暗闇が黙って見つめ返してきただけでそれらしきものは一向に探し当てられなかった。
また歩き出したときふと思い出した。どこかで嗅いだことのあるにおいだと。
においの正体は田んぼだった。
においは代掻きによってかき回された田んぼが放つ生臭さだった。
いのちあふれるそのにおいに言いようのない幸せを感じつつ、春に感謝するように深呼吸を一回した。
家に帰り、パソコンを立ち上げこの文章を書き終えたのが0:59分。
このあと本を読んだら明日起きられる自信がない。
春の夜に作業が捗るというのはウソだった。 とうとう読書は進まなかった。
でも春の夜は好きだ。