Thoughts at 3AM.

記憶の補完

赤い目をしたセミ



残念ながら
夏が死んでしまったようだ。


すこし続いた雨降りで窓を閉めているあいだに忽然と姿を消した夏の姿をラムネの瓶の中や甲子園球場のバックネット裏で必死に探したのだけど今のところ発見の知らせはどこからも届いていない。


命を削って音に変えていた蝉たちの著しいまでのボリュームダウンがあんまりにも物悲しいので玄関前に散り敷かれたサルスベリの花片に埋れている亡骸を見かけたときはそっとちりとりですくって花壇の隅に集めておいているのだけど何日か目を離すといつの間にか消えている


僕はちいさいころから蝉が好きだ。


小学校四年生の夏休み、家の前の公園で一番大きなけやきの木を這っている中身の入った蝉の抜け殻を見たときは誰かとこの興奮を共有しようと台所のお母さんを走って呼びに行った。


長年の地下ぐらしを物語る土のこびりついた背中を裂いて逆さ吊りに現れる半透明の非現実的な肉体。

宙ぶらりんの体を立て直すと脱ぎ捨てたワイシャツのような両翼をぴんと張り、頼りのない前足でぶら下がりながら長い間地中で憧れ続けたシャバの空気を全身に行き渡らせる。

彼らが表舞台に立てるのも高校球児と同じくらいで、その多くは甲子園の閉幕を待たずして樹上から転がり落ちる。


人は失ったものに価値を見出すことが多く、日中にいのちを燃やして鳴く蝉には煩いだのとつめたくあたってそこに風流を見出す人は少ない。


いのちを燃やして泣き叫んでも誰も褒めてくれる人はおらず、夏の終わりを気づかせるために用いられる蝉のなんと儚く美しいことか。


僕はそんな蝉が好きだ。



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