480円に馳せる思い
3週間前、21歳になった。
バイト先の後輩くんが成人式に何もっていけばいいんですかね、何時集合ですかと矢継ぎ早に質問してくるのを返信しながら、もう21歳か、とティーンエイジャーをとっくに抜け出した現実をチラ見する。
大学進学に伴うモラトリアムの延長で、二十歳の意義が薄れつつある気がする。
僕は社会に出ているわけでもないので二十歳になったからといって生活が変わるわけでもなかったし、途端に自意識が芽生えるわけでもなかったので、いまも親の住む家に住んでタダ飯を食らい、金も払わずに寝床で眠る生活を続けている。
なんの因果かわからないけれど、去年成人式をやった日と同じように今年もスーツを着ていた。晴れの日のためではなく、合同説明会で商品として振る舞うために。僕が年齢について考えようと考えまいと、取り巻く環境は急激に変わりつつある。
成人で解禁されたおたのしみの中でまだ行使をしていない権利がひとつあった。
タバコだ。
今までは、タバコは吸わない!とわけもなく公言したり、友人に半ば強引に禁煙を誓わせたりもするぐらいタバコが嫌いだった。
多少お酒が入ると友人のを一本拝借して吸ってみたり、先輩のタバコ休憩に付き合っているときの手持無沙汰でふかすことはあったが、分かったふりをして吸うタバコに味はなかった。
ある日の帰り道、いつも通り逃げ込む友人宅にも先約がいて、心身ともにボロボロになって電気の消えた居酒屋の店先にへたり込んだ。
長い息を吐いてうつむくと、ポケットの中に四角い感触。親父のタバコだった。
どうにでもなれ、と火をつけた。
吐き出すため息は白く濁って、やがて夜風に溶けていった。
案外悪くない、とニヤけた記憶がある。
何よりそのとき、なんとも名状しがたい自信が湧いて逃すつもりだった終電間近のホームまで走ることができた。
このことがあってから、何か区切りをつけたいときにタバコを吸うのがクセになった。
これを機に、一概に意見の合わないものを悪としていた自分の見識の甘さを恥じたこともあって、勉強料程度にこれからも少しならいいかなと思った。
あと、前よりコーヒーが好きになった。
そんなこんなで、今日も覚えたてのタバコをふかしています。
味なんてわからないけど、少しだけ大人になったような気持ちで。