Thoughts at 3AM.

記憶の補完

猛省しています。

 

すごく反省しなくてはいけないことが見つかりました。

今の気持ちを正直に書きます。

 

僕は自分のことを穏やかな性格だと思っています。

かっとして人を殴ったりとか悪口を叫んだりする人間があまり好きではないです。

 

例えばコンビニ店員に対して高圧的な態度をとる人、普段から周囲に当たり散らして心の平静を保っている人にはひどく嫌悪感を抱きます。

 

平静から物事をできるだけ穏便に済ませたがります。

この間も、ローソンで研修中の札を付けた店員さんが僕のソーセージブリトーを1500Wのレンジで1分40秒温めてしまったときがありました。

 

文句を言って新品に取り替えてもらえばきっと新人さんは先輩にこのあとすごく怒られるだろうなと考えて、うろたえる新人さんに「大丈夫だからこれからは気を付けてね」と言って化石のようなブリトーを食べる方をとりました。

 

穏やかであるということは客観的で、物事に対し冷静に冷酷に対処することがあるというように言い換えることができます。

 

そんな僕がアツくなってしまう出来事がつい最近ありました。

 

ある日、バイト先の先輩からミスをとがめられたんですよ。

お前俺の中でリーチかかってるからな、と嫌味ったらしく言われて。

 

そこまではよくあることだな、タイミングわるいなと思いながら真摯に受け止めていたんですが、続けてあまり関係のない自分のことや意識の低さを散々けなされて。

 

そのあと、先輩から店を良くするために言えないことや気づいたことがあるなら是非言って欲しいと言われて、僕は先輩のミスや不満を理路整然と並べだしてしまったんです。

 

その投げかけ自体が真剣に答えてはいけないという大人の暗黙のルールに従った会話の終わらせ方であると気づかずに。

 

 

しかも悪いことに、反論の余地があるような話題に対しては相手に質問をさせたあげくに退路をひとつづつ閉ざしていくような最低の理詰めで最後には相手のプライドを著しく傷つけてしまいました。

 

 

自分に非があることで始まった議論でも少しでも理不尽な怒られ方、それは違うだろといった自分が納得できないことがあると当て馬のように相手の悪いことに対して正論をぶつけてしまうところが僕にはあります。

 

 

そういえば塾講師をやっていた時も生徒から

 

「先生の怒り方は怖い」「感情がないみたい」

 

と言われたことがありました、問題は僕がこの発言をした生徒たちを叱ったことはなく他の叱られている生徒を見て思ったというのだから問題はさらに深刻です。

 

相手から何かを言われたときに黙っている、反論をせずえへらえへらと笑ってやり過ごすという僕たちがもっとも得意とする"コトナカレ主義"を実践してみせるのも一つの方法ではありますが、僕はそうはしたくありません。

 

では、どうするか。

なにを改善するかと悩んでいたところ母から

 

「正論はいいけれど、あなたの場合伝え方を考えなくてはね」

 

とアドバイスを受けました。

 

確かに僕は正論で相手を詰めるとき、まるでプレゼンを成功させているかのように自分が場を支配している状況に酔いしれ、相手が言い逃れのできない論点を突かれてたじろいでいる様子を楽しんでいることがあります。

 

この時もテメーの主張も分かったけどテメーも問題ありなんだよ聖人ぶんなクソがと思っている部分がありましたからね。というか九割以上がこれでした。

 

先輩はすこし早く退勤していきました。

おしゃべりなその唇は普段より動きが悪く、閉ざされたままでした。

 

 

反論がないことをいい気になっていた僕もその時ばかりは

ああ、やってしまったなとものすごい勢いで自分が今何をしたかと考えました。

 

本当に反省しています。

 

次の勤務で会った先輩が風邪気味の僕に向かってマスクをくれたとき、この間は言いすぎましたと謝りたかった。けど謝れませんでした。

 

自分の心の小ささに気づくと同時に、だれかが僕のことを嫌いになってしまう瞬間を少しでも減らさなきゃと心から思う出来事でした。

 

 

どうか安らかに、おしまい。